日々の日常の中で何か気になることがあったときに、その日の出来事を日記に書いていく習慣が欠かせないという看護師がおられると思うのです。自分が見聞きした体験を記録として残しておくことで、「この出来事は心にしまうのではなくて、日記という引出しにしまっておこう」と気持ちの切り替えに繋がるのです。そのため、何かつらいことがあったときに、その出来事を日記に残しておくことで、そのつらい出来事を日記の中に封印しておこうという作用が働きます。そうしたことから、日記とは心の整理を担う役割を持っていることが伺えます。
 日記とは精神安定剤のような働きが期待できるのであり、場合によっては今日一日の鬱憤を晴らすかのようにして、日記に殴り書きをしていく方もおられるかと思うのです。それがその人にとってのストレス解消となるのであれば、日記をつけることが1日の大切な習慣になるのでしょう。自分の気持ちを映し出す上での拠り所となった日記を生活の必需品としていき、長い時を経て再び日記を開くその時を楽しみにしながら日記をつける習慣とは、宝物を手にするようなものであると考えられるのです。その宝物とは他でもなく自分がこれまでに記憶として封印してきた思い出であり、楽しかったことや苦しかったことなどの情緒あふれる文章の数々。数年たってみてみると「当時の自分はこんなことで悩んでいたのか」と懐かしむ気持ちが湧き上がるでしょう。そしてきっと数年たてば、現在の悩みに対してもこんな気持ちになれるのだろうなと安心感を思い出させてくれます。
言葉だけが織り成していく想いの軌跡が、ともすれば自分は確かにあの時も人生を懸命に生きていたという証拠であることの何ものでもないことを物語っているのです。こうしたことから、日記をつけるといった何気に続けている習慣から、日記を再びめくることによる感動を呼び起こすための日々の積み重ねとなるのです。
 日記をつけたのはいいが、その日記を誰かに読まれないかと不安になる方もおられるでしょう。特に、親と同居している方にとっては、親が掃除をするために自分の部屋に来ることが考えられ、親が何かの拍子に引出しを開ける可能性だってあるのです。自分の気持ちが詰まっている日記は自分そのもの。誰にも見つからないために、引き出しにカギをつけるなどして、自分以外の人が絶対に触れられない場所に隠しましょう。